江戸の経済史

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日本の近代とは

靖国神社の遊就館にある展示を見ますと、日本の近代は織田信長の時代、すなわち安土桃山時代からであると書かれています。

安土桃山時代と言えば16世紀半以降で、ヨーロッパでは宗教改革とかルネサンスがひと段落ついて、科学的思考が始まったころです。
コペルニクスが地動説を発表しましたが、当然受け入れてはもらえず苦しんでいた頃。
そしてデカルトが書いた「方法序説」が、次第に人々に受け入れられていた時代。
ヨーロッパの貧しさに比べて、まだまだオスマントルコなどのイスラム圏が栄え、キリスト教は北方の貧困宗教であった時代です。
ユダヤ教徒たちは宗教的迫害に合いながらも、地中海貿易の特権だけは死守し頑張っていますが、まだ近代的経済手法を打ち立ててはおりません。

国産銃   出展:種子島開発総合センター

どうして日本の近代が織田信長の時代からなのか?

日本は、室町幕府が統治機能を失って戦国の世となり、血縁関係が複雑化して収拾がつかず戦乱が人心を荒廃させておりました。そこに登場したクールガイ「織田信長」、「うつけ(虚け)」とののしられながらも常識を破る戦闘で他の大名達を撃破し、足利義昭を奉じ上洛してから、その義昭を京都から追放して室町幕府を終焉させました。
この時、織田信長の頭の中にはどういう構想があったのでしょうか?

憶測ですが、それが黎明期の近代経済だったのではないかと思うのです。
この時代、商人達も活発に挑戦しています。斎藤道三が織田信長を認めたのも、その考え方に同調したからではないでしょうか?
そしてその後に続く「秀吉」も「家康」も、彼のビジョンをマスターしていた・・・

そんなことを考えながら、経済の視点で江戸時代を考察してみました。

ここでは、文体を講談調にしています。
読みにくかったら申し訳ありません・・・

このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。

左のリストから、当主の名前をクリックしてください。
名前の下の年号は、生年~没年です。将軍職の年ではありません。

顔のグラフをクリックしても、大きくなりません。

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