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木材タイトル

我が国は古来、森林国と言われ、北は北海道から南は鹿児島まで森林豊かな国でした。
しかし、大東亜戦争後、復興に大量の木材が必要となり、少しでも需要を満たすために奥地まで入り込んで森林が切り倒され、地価も高騰し続ける一方で木材も金の成る木と化し、民有林の杉・檜の立ち木の多くが買い漁られました。

木材とは、植林して柱一本をを取るにも20年位の月日を要するために、需要には追いつかず、経済の発展と成長に伴い当然内地材の供給不足を補うため、大手商社を中心に昭和29年には北洋材でエゾ松の一種スプルース材が、そして昭和31年にはソ連材が初入荷されました。

これまでにも輸入されていたアメリカの米栂(つが)材・米松材をはじめ、南洋材であるフィリピンのラワン材、ボルネオのラミン材、ニュージーランド松材、と一時期に次々と輸入ラッシュの状態が続き、昭和36年には、なんと外材輸入が前年度比43%増となりました。





昭和36年頃には、あまりにも日本の米国産丸太の輸入が激し過ぎたため、米国の州によっては、丸太輸出禁止の処置を取り始めたほどです。その一方で、昭和40年頃から国産材の品薄と高騰による集荷難から、輸入丸太を製材するために、全国各地の製材工場の装置を輸入材対応へ転換するところが激増、山間僻地の山奥の工場まで輸入丸太を積んだトラックが入ると言う異様な現象がみられました。
又当時、戦後の復興がようやく軌道に乗り、建設資材はインフレをたどりながら成長し、建築・住宅産業の発展にともなって木材も急速に需要を伸ばしました。その中でも内地材の杉・檜・松材は不足し、一時期10年間で2倍の高値を呼び、需給バランスは完全に売り手市場となったのです。