宵越しの銭は持たない職人気質

「宵越しの銭は持たない」という言葉があります。
金銭に執着しない江戸っ子の気性をいった言葉と言うことですが、これは江戸時代の大工などの職人気質が背景にあるのでしょう。

金銭に執着し、腕を磨くことをサボるようになったら人生はお終いである・・という職人気質です。
江戸は職人の町でしたからね。

「江戸っ子の・生まれそこない・銭を貯め」という川柳もありますから、いつでも腕一本で飯が食えると言うのが、江戸っ子の矜持だったようです。
もっとも、その腕の良い職人には賢い嫁が居て、しっかりと家計を守っていたようですから、もしかしたら威勢の良い気概だけの言葉だったのかも知れません。

そういう職人たちが明治維新で多くの産業機械を作り上げ、我が国の生産性を高めていったのです。
やがて近代資本主義の波がやってきて、欧米に追い付き追い越せの合唱のもと、世界に乗り出した日本は、大東亜戦争で敗戦します。
それから日本に国際金融資本が入ってきます。莫大な借金を抱えた我が国は、それでも「宵越しの銭は持たない」という気概で働き、それをケインズ型の経済政策が支えてこの借金を返済したのです。

この職人の親方を社長として徒弟制度を有限・株式会社制度に作り変えていったのが戦後の近代化でした。
日本の中小企業はこのようにして出来てきたのです。

ですから日本の中小企業の元は職人の集団だったと考えて良いでしょう。販売の技術も比較的に職人技が多かった日本だったはずです。

さて、デービット・アトキンス氏は中小企業の再編を述べております。
つまり日本の中小企業は効率が悪く、もっと集約して資本を大きくし、「そして効率を上げる」などと申しておりますが、その実際は公立の悪い中小企業を潰して効率のいい企業だけを残すという発想のようです。

アトキンス氏は、GDPを維持または上げなければ日本の社会保障制度は維持できず、少子高齢化で人口が減る中で、GDPを維持するには生産性を上げるしかないという発想の持ち主です。

中小企業の生産性は上場企業の半分で、海外の企業と比べても低いそうです。

アトキンス氏は「小西美術工芸社」の社長でした。おもな仕事は日本の古い文化財(建物も含む)ですから、お客様の多くは美術館や歴史文化財としての建物などであろうと思います。そしてこれらを扱うことの出来るのはその道の職人です。

特殊技能を持つ職人の集団ですから、職人のスケジュールを上手に管理し、受注した仕事の量をこなせば生産性は上がります。
しかし職人たちは忙しくて疲れていたのではないでしょうか。

また、一般的には生産性とは単位時間当たりの労働コストでいかに多くの量をこなすかということであっても、その作成したものが売れなければ生産性が上がったとは言えません。

物が売れなければ、生産性は上がらないのです。
そして日本国政府は、消費税引き上げや公共財に対する投資を絞っていますから物は売れません。
付加価値生産性を上げようにも、売れない環境を政府(財務省)がわざわざ作り出しているわけですから、生産性の上げようがないわけです。
財務省は国家の借金を減らすそうです。国家の借金とは国債であり、国債は一種の通貨ですから、通貨を無くそうとしているようです。
消費が伸びないのはこの様な理由であり、そんなことは財務省も判っているはずです。ではなぜ財務省はこんな政策をするのか・・返ってくる答えは「借金を減らす」というだけです。意味が判りません。

そして日本の中小企業の生産性が低いのは、もともと「宵越しの銭は持たない」という日本の職人気質があるからだと思います。
市場の要求にすぐに答えるのも、このような職人にとっては意味の無いことなのです。つまり彼等の本音は、「市場の要求が常にあるようにしておくこと」なのです。

生産性を上げて市場の要求にすぐに答えて、販売数量を上げて所得にしても、利益は株主と税務署に取られるだけです。ですから市場の要求にすぐに答えず、要求という形で貯めておくのが、日本の腕の良い職人の貯蓄法なのです。
これが「宵越しの銭は持たない」という意味なのです。そして豊かさとはこういうものです。

デービッド(ダビデ)さんには判らないかも知れませんけど・・・

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